映画『新聞記者』レビュー後編・望月記者が政権に不都合な記者であり続けられる背景とは?

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映画「新聞記者」にも登場する内調とは一体どんな組織か。官邸を知る記者や元官僚が対談

東京新聞で望月記者が自由に取材できる背景は?

問題意識と覚悟が生んだ映画「新聞記者」

前回は、日本映画が政治をテーマにした作品を作りづらくなっている背景について考察した。

そんななかで上映された『映画「新聞記者」』は、日頃、政権に批判的な東京新聞の望月衣塑子記者の同名ベストセラーを原案に製作された作品だ。

前回は、本作の誕生には、現在の政治状況に問題意識を強めたエグゼクティブプロデューサー河村光庸氏の行動力や覚悟があったこと、テレビ局から仕事がもらえなくなることを懸念し協力できなかった制作プロダクションも存在したことなど、日本映画界、さらには日本のメディア界など、いま日本を覆う空気にも言及した。

映画「新聞記者」はなぜヒットしたのか?政治的リスクをめぐる覚悟と勇気を考える・レビュー前編
政治映画が上映されただけでニュースになる国ニッポン 映画「新聞記者」が4億円超の興行収入 いまに始まったことではないのかもしれないが、映画館で流される邦画の予告編にうんざりすることがある。 なぜなら、扱うテーマが恋愛か家族かバラエティーか、いずれにしても権力中枢で何が起こっているのか、国民に問いかけようとする覚悟のある作品が皆無だからだ。 あえて言えば、企業の不祥事をモチーフに...

今回は、忖度する空気が蔓延する中、原案となった「新聞記者」の著者・望月衣塑子記者がなぜ政権に批判的な姿勢を貫くことができるのか、その背景を考えてみたい。

新聞記者といえども組織内ジャーナリストである

望月記者については、以前、安倍政権の大番頭・菅官房長官の定例記者会見で、毎回のようにバトルを繰り返している記者であることを取り上げた。

菅官房長官と望月衣塑子記者のバトルを斬る!会見排除問題で分かる民主主義の成熟度
記者会見の変質と進化 東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者と菅官房長官のバトルが延焼している。 官房長官の定例会見で質問を繰り返す望月記者に対し、首相官邸が排除する姿勢を見せているためだ。 直接的なきっかけは2018年12月の記者会見で、望月記者が沖縄・辺野古沿岸の土砂投入について「現場ではいま、赤土が広がっております」と質問。報道室長名で「特定の記者が事実に基づかない質問を繰り返して...

度重なる質問攻めに業を煮やした官邸サイドは、望月記者が2018年12月の記者会見で沖縄・辺野古沿岸の土砂投入について「現場ではいま、赤土が広がっております」と質問したことに対し、報道室長名で「特定の記者が事実に基づかない質問を繰り返している」と反論。内閣記者会(記者クラブ)に問題意識の共有を求めたことで、逆に批判を招いた。

多くの記者は、政権が不都合な記者を排除することに理解を示したら、明日は我が身という危惧を覚えたのかもしれない。

ただ、新聞記者といえども組織内ジャーナリストだ。外部からの圧力や批判、あるいは新聞社上層部が政権に忖度したら、職場を変えられる運命にある職業でもある。

しかし、長い間、彼女は会見に出席し続けている。その背景を考えたい。

東京新聞経営陣の静かなる覚悟と使命感を感じる

新聞記者を生かすも殺すも経営陣の考え方次第

東京新聞は、中日新聞の東京本社が発行する一般紙である。

関東地方のブロック紙ではあるが、中部地方や北陸などで発行される中日新聞も合わせると、ある意味全国紙的な新聞ともいえる。

とくに、中日新聞は名古屋市をはじめ中部地方では圧倒的なシェアを誇り、地方紙の雄でもある。

その中日新聞の社長・大島宇一郎氏は創業家の大島家出身。若い頃は東京新聞政治部で記者経験のある人物だ。

大島宇一郎 中日新聞社(旧:新愛知)の創業家である大島家の出身。愛知県立旭丘高等学校35期を経て、1987年に早稲田大学政治経済学部卒業。同年に中日新聞社入社。2013年に同社取締役、2015年に同社常務取締役東京本社代表に就任。2017年より現職。(出典:Wikipedia

人柄は温厚で極めて常識人。将来の経営陣になるべく、その後、経済部や人事部も経験し、まだ50代の若き経営者である。

彼が記者活動した頃の政治情勢は、竹下政権や”金竹小”という金丸信・小沢一郎、竹下登の三人が自民党を支配する恐怖的な政治が批判を浴びた時期でもあった。

しかし、当時は政権批判に対して、政権もある程度、許容する度量があった。

竹下登は生前、「自民党政権は7割批判されて、3割褒められるくらいがちょうどいい」とも語っていた。

野党やマスコミの追求を受けて立ってこそ、民主主義が成立するし、国がおかしな方向に向かうことはないことを彼は戦争を体験し、感じていたのかもしれない。

話を戻すと、大島社長が「もしも望月はやばい記者だ」と考え、下に異動を命じれば、彼女が官房長官でバトルを繰り返すことはなかったはずだ。

それを容認したのは、大島社長自身がメディアの使命と責任を胸に秘めているからだと思う。

日本は形だけの民主主義国家になるのか?

総理大臣に選出されるのは、衆議院の多数を握った政治家である。

その衆議院の選挙制度が1選挙区から複数の当選者を出す中選挙区から、1人しか当選できない小選挙区制に変わると、自民党政権がメディアに求める基準も変化した。

かつて竹下元首相が言っていた「批判7:賛同3」から「批判5:賛同5」、そして最近は批判を許さないという空気を感じる。

狭量なる政権の体質である。

しかし、政権を擁護、あるいは賛同するメディア、文化人、経営者らには賞賛と笑顔で接する。

仮に、日本が共産主義政権になって、同じ状況になったときに、野に下った現政権の人たちは「OK!」と笑顔で狭量な政治を許すだろうか?

どんな権力者もいずれ一市民に戻る。国家の土台は自由と民主主義が基本でなければ、その報いは自分に降りかかる。

映画『新聞記者』は、最後に強烈なメセージを盛り込んでいる。

本作は若き女性記者・吉岡エリカが政権内の腐敗を暴くストーリーだが、その過程で良心の呵責にさいなまれた内閣情報調査室の官僚・杉原が彼女の取材に協力する。

最後に、その杉原の上司・多田内閣参事官が放った言葉とは・・・

「日本の民主主義は形だけでいい」

これこそ映画『新聞記者』が伝えたかった警告メッセージだったのではないか。

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