菅官房長官と望月衣塑子記者のバトルを斬る!会見排除問題で分かる民主主義の成熟度

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記者会見の変質と進化

東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者と菅官房長官のバトルが延焼している。

官房長官の定例会見で質問を繰り返す望月記者に対し、首相官邸が排除する姿勢を見せているためだ。

直接的なきっかけは2018年12月の記者会見で、望月記者が沖縄・辺野古沿岸の土砂投入について「現場ではいま、赤土が広がっております」と質問。報道室長名で「特定の記者が事実に基づかない質問を繰り返している」と反論し、内閣記者会(記者クラブ)に問題意識の共有を求めたことが火に油を注ぐ結果となった。

新聞労連や日本ジャーナリスト会議が抗議声明を出し、朝日新聞や北海道新聞が「質問制限を求めるやり方は不当で、記者の排除、選別にもつながりかねない」などと批判した。

WiKIpediaが経緯をうまくまとめているので、そちらを参考にしてほしい。

 望月は2018年12月26日の官房長官記者会見で、基地移設工事にともなう沖縄・辺野古沿岸への土砂投入について「現場では今、赤土が広がっております」「埋め立てが適法に進んでいるか確認ができておりません」などと指摘し、政府の対処を尋ねた。この質問について、官邸は12月28日、報道室長名で「汚濁が広がっているかのような表現は適切でない」「特定の記者が事実に基づかない質問を繰り返している」と反論。記者クラブ「内閣記者会」に対し、問題意識の共有と事実に基づく質問を求め、文書で申し入れた。
 この申し入れについて、新聞労連や日本ジャーナリスト会議(JCJ)が「官邸の意に沿わない記者を排除する」「司会役が数秒おきに(質問を)妨げている」などして抗議声明を出し、朝日新聞と北海道新聞が社説で「質問制限を求めるようなやり方は不当で、記者の排除、選別にもつながりかねない」「『事実誤認』と言うには、根拠が乏しい」などと批判した。
 菅官房長官は2月8日の会見で「質問妨害はやっていない。正確な事実に基づく質問を心掛けて頂けるように協力を依頼した」と答えた。(出典:Wikipedia

そもそも、この菅官房長官と望月記者の会見バトルは、いまに始まった話ではない。

2017年6月に社会部の望月記者が政治部長の了解を取って官房長官会見に出席し、矢継ぎ早に大声で質問するようになってから続いているものだ。

当初は、菅官房長官も「ちょっと変わった記者が出席するようになったな」程度の認識だったと思う。しかし、毎回出席し、これまでの政府見解を聞いてメモする政治記者とは違って、自分の見解も交えて長々と質問する記者に我慢がならなくなったのだろう。

そもそも官房長官の定例会見は、政治記者にとって深く取材するための場ではなかった。他社を出し抜くためには、定例会見で質問をぶつけて手の内を晒すのは得策ではないという計算が働いていたためだ。

「本当に聞きたいことは会見や懇談ではなく、サシの場で聞け」

多くの政治記者は先輩からそう教えられてきたはずだ。

そんな内閣記者会の取材文化に、自分の取材結果や持論も交えて質問する望月記者の登場である。

菅官房長だけでなく、政治記者たちも、驚きとともに、”異文化の出現”と受け止めたに違いない。

いつの時代も為政者は従順な報道を求める

ただ、望月記者は社会部の記者である。

政治部の記者は定例会見のほかにも懇談など取材の機会はあるが、望月記者は質問できる場が限られている。現実には官房長官の定例会見しかないだろう。

だから、彼女にとって定例会見が主戦場だ。

文春オンラインのインタビューによると、2017年6月8日午前の会見では、会見時間37分中、実に25回ほど質問したという。その理由について望月記者は次のように述べている。

なるべく多くの社に機会を与えるのは原則だと思いますが、本来、質問したからには答えを聞き切らなければならないはずだと思うんです。あの時は「同趣旨の質問を繰り返すのはやめてください」と広報官に注意されましたが、「きちんとした回答をいただけていないと思うので、繰り返し聞いています」と申し上げました。「菅話法」のままでは何も答えが出てこない。だから、手を変え品を変え、いろいろな角度で聞くことを心がけています。(出典:文春オンライン「私が菅官房長官に「大きな声」で質問する理由 東京新聞・望月衣塑子記者インタビュー」)

この「手を変え品を変え、いろいろな角度で聞くことを心がけています」という姿勢は、官房長官の定例会見に出席する政治記者には希薄な点だった。

「大切なことは記者会見の外で聞く」のが基本だったからだ。

しかし、それが易きに流れて「聞くべきことを聞かずに、権力者と馴れ合っている」と受け取られる場面があったのも事実だ。

政権にとって都合の良い記者は、ご褒美として人事や政策のネタがもらえる。しかし、政権に不都合な真実は報じることができない。

政権にとって嫌な記者は、日常的な人事や政策ネタはもらえない。しかし、政権に不都合な真実をしがらみなく書ける。

国民の利益になるのは、どちらの記者か?

局面によって答えは多少変化するが、最終的には自ずと答えが出るはずだ。

ただ、ひとつだけ付け加えておきたい。

本当に優秀な記者は日常的に政権からネタを引き出す力もあるし、不都合な真実もきちんと書ける人である。

なぜなら、権力者はきちんと優秀な記者を判別する能力はあるし、優秀な記者は権力者に「あの記者が書くのだから仕方がないな」と思わせる魅力を有しているものである。

”ポスト平成”のメディアの劣化不安

国民の多くは、安倍政権が自分に都合の良いメディアや経済人・文化人を選別していると感じている。批判を極端に嫌う狭量な政権だも感じている。

いつの時代も権力者は批判的なメディアよりも、コントロールできる御し易いメディアを歓迎する性質があるのは歴史が示している。

沖縄の本土復帰から1カ月後の1972年6月17日(土)。

佐藤栄作首相は7年8ヵ月の長期政権に幕を閉じる退陣会見に臨もうとしていた。その際、「偏向的な新聞が大嫌いなんだ」と言い放ち、しまいには記者が全員退席したあと、NHKカメラだけを相手に退陣の弁を語ったことがあった。

都合の悪いメディアを嫌うのは、何も安倍政権だけではないのである。

ただ、一つ疑問がある。

もしも、いま、安倍政権下で同じことがあった場合、佐藤栄作首相の退陣会見のように全メディアが会見場を退席するだろうかということだ。

産経とNHKは会見場に残り、民放は担当記者が本社に相談し幹部が右往左往するうちに、一部の新聞社だけが退席することになりはしないだろうか。

かつて政治取材の現場には、思想信条は違っても、報道の自由を守ろうという共通した意識が強かった。

しかし、今回、官邸が出した望月記者の排除要請とも受け取れる反論に対し、メディアが敏感に反応し、記者の取材を守ろうとした姿勢は伺えない。

官邸の反論は2018年12月。新聞労連などが抗議したのは2019年2月だ。その間、官邸の反論は放置・黙殺されていた。

沈黙は容認と同じである。

他人の取材規制を容認すれば、次は自分の番。その意識が希薄なのだ。

さらには、昨今の産経新聞の姿勢である。安倍政権を支持するのは自由だ。

私も安倍政権の経済政策は、景気が冷え切っているのにもかかわらず、消費増税し、日銀の金融引き締めにも疑問を持たなかった民主党政権に比べたら、極めて優れていると感じる。

しかし、産経新聞には、意見の異なる報道に対するいたわりを感じない。

いま、産経新聞に必要なのは「私はあなたの意見には反対だ。しかし、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という精神ではないだろうか。

菅官房長官VS望月記者は民主主義のリトマス紙

少し話を整理したい。

まず、官房長官会見の場は、国政に関することであれば、基本的に質問は自由である。

望月記者は「質問ではなく、自分の意見を言っている」という批判があるが、質問の仕方は記者の個性である。

ただ、危惧するのは、テレビやネット動画でニュースを視聴する人たちが増えている中で、パフォーマンス的な質問が横行するのは避けてほしい。

節目節目でテレビ局が不勉強なキャスターを会見場に派遣し、質問の様子を放送する演出が以前よりも横行している。これは自分の会社の信頼性を摩耗させている。地道に取材している自社の記者がいるはずである。

今回の望月記者の質問の仕方に演出的な意図はないのか。彼女が最も注意すべきなのは、その点だと思う。事の本質ではなく、形を伝えることで、世論が動くのは国民にとって不幸なことだ。

内閣記者会の反応が鈍かったという批判がある。

これは同感だ。先ほど申し上げたように、取材の自由の制限に最も敏感であるべきなのは、メディア自身でなければいけない。

最後に、最も重要な権力者の姿勢である。

望月記者は、官房長官がきちんと質問に答えていないために何度も質問を繰り替えていると説明している。確かに質問内容に疑義を投げかけて、質問自体にはノーアンサーのことが多い。

独裁国家や軍事国家ならいざしらず、選挙という民主的手続きを経て議員バッチをつけた政治家は、民主主義の具現者としてお手本にならないといけない。

民主主義というのは、単に多数決で決することが本質ではない。

むしろ、大切なのは、多数派が少数派の抵抗や批判にどれだけ耐えて理解を求めようとしたのかという点である。その多数派が少数派に耐える過程にこそ、民主主義の本質がある

歴史は少数派が歴史を塗り替えた連続史である。

私たちの国は、意見の異なる相手にどれだけ丁寧に答える政治が行われているのか。

その有無こそが、民主主義の成熟度を測るリトマス紙だと考えている。

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