映画「グリーンブック」と「ブラック・クランズマン」は今も残る差別の本質を教えてくれる

映画
ブラック・クランズマン – 映画予告編 スパイク・リー監督最新作

2019年度アカデミー賞作品賞「グリーンブック」

 

本年度アカデミー賞作品賞は「グリーンブック」で文句なしで受賞した。

昨年の「シェイプ・オブ・ウォーター」はグロテスクなおとぎ話だった。一昨年の「ムーンライト」は素晴らしい作品であったが、黒人にオスカーを受賞させたいという意思を感じる受賞だった。

「グリーンブック」は王道のハリウッド映画だ。

アメリカに根強く残る黒人への差別意識、クリスマスを祝う家族、夫婦の思いやり、ゲイとして生きる苦しさや惨めさなど、数多くのテーマを含んだハートウォーミングストーリーなのだ。

そして、アメリカ人が大好きなロードムービーとしても秀逸だ。あのクラシックカーでアメリカを横断できたらなんと贅沢だろう。

1960年代までは有色人種の差別は当然で、彼らが宿泊できるホテルのガイドブックが”グリーンブック”と呼ばれていた。映画を見れば表紙がグリーンなので、そう言われた所以がわかる。

差別渦巻く時代でも黒人ピアニストに尊敬の念

教養の高い天才ピアニストの黒人と、粗野でお人好しのイタリア系白人の絶妙なコンビ。何をとっても対照的だ。

ゲイで家族からも遠ざけられ寂しい人生だが、裕福な生活を送る黒人ピアニスト。愛する妻や親族に囲まれ賑やかな人生だが、十分な稼ぎのないナイトクラブの用心棒。この2人が演奏旅行を通じて友情を育んでいく。見ているこちらもじわじわと2人に情が湧いてきて、最後は幸せな気持ちになれる。

「グリーンブック」で一番共感したのが、ヴィゴ・モーテンセン演じるイタリア系の用心棒だ。

はじめは、黒人が手をつけたコップをゴミ箱に捨てるほど黒人嫌いな彼が、黒人ピアニストと旅するうちに、天才的なピアノや彼の人柄に触れ、尊敬とも言える情が湧いてくる。黒人を「ニガー」という白人を時には怒り、友人には注意するほど彼の心は変化した。

旅を終え、イタリア系用心棒は家族のいない黒人ピアニストがクリスマスを一人寂しく迎えることにならないように、黒人嫌いなイタリア人仲間とのクリスマスに彼を呼ぶ。玄関から入るやいなや、抱き合う2人。そのシーンは感動的だ。

バックには黒人歌手ナットキングコールのクリスマスソングが流れる。ナットキングコールは差別を訴えるため、全米のツアーに出た。そして、黒人ピアニストも同様に全米ツアーに出たことが明かされるシーンは印象的だった。

「グリーンブック」は人種差別映画だという指摘もあるが、映画を見終わって、そうした指摘を超越した2人の友情に感動してしまうのだ。

 

「ブラック・クランズマン」は最高にクール

一方、アカデミー賞脚色賞の「ブラック・クランズマン」。主演の黒人刑事役が原作者だ。2018年カンヌ映画祭では「万引き家族」の次点だったそうだ。

アカデミー脚色賞(アカデミーきゃくしょくしょう、Academy Award for Writing Adapted Screenplay)は、アカデミー賞の部門のひとつで、小説や舞台劇などから起こされた脚本におくられる賞である。また、続編作品もこの部門の対象である。独自の脚本についてはアカデミー脚本賞がおくられる。(出典:Wikipedia

監督のスパイク・リーはブラック・ムービーの第一人者である。ジョン・デヴィッド・ワシントンを「ブラック・クランズマン」の主役に抜擢する。父親は、スパイク・リーの出世作「マルコムX」の主役も演じ、ハリウッドの人気俳優となったデンゼル・ワシントン。その父親に負けない名演技だった。

1970年代のアメリカは、白人至上主義団体・KKKが一時の勢いを失ったものの、まだまだ血気盛んで残酷な集団だった。その活動を阻止しようと、ジョン・デヴィッド・ワシントン演じるコロラドスプリングス(アメリカ西部の町)初の黒人刑事は、同僚の白人刑事と組んで潜入捜査を始める。

KKKに対し、かたや黒人の人権を訴えるブラックパワーの若者たちを知的に描いた。映画はKKKとブラックパワーの対決シーンを暴力描写で描くことは極力避け、各団体の会合やスピーチ、黒人刑事が電話で白人政治家を出し抜くシーンなど、台詞や心理描写で鮮やかに人権差別を炙り出すといったおしゃれな工夫を施していた。

当時の音楽も効果的に使われ、アフロヘア―や派手な服装などもクールだ(映画中にも何度も出てくる台詞)

クール 日本語でも同様の意味で用いられる。もとはアフリカ系アメリカ人のブルーカラー層が「イケてる」「カッコいい」といった意味で使っていた俗語だったものが、20世紀末になって広がり、日本などを初めとする英語圏以外の文化圏でも広く使われるようになったといわれている(出典:Wikipedia

映画のエンディングにはトランプ大統領の映像が出る。いまのアメリカになおも残る差別意識の象徴と言わんばかりだった。

「ブラック・クランズマン」が教えてくれたある名画の差別意識

「ブラック・クランズマン」では、脇役を固めるコロラドスプリングス署の白人警官たちの姿が頭に残る。偏見なく黒人を採用する署長は、決して黒人側につくような発言はしないが、差別もしないのだ。最後のシーンでは、バーで黒人女性を侮辱した白人警官を逮捕するという落ちまであった。

ただ、この映画で最も驚いたのは、冒頭のシーンだ。

この映画は冒頭、「風と共に去りぬ」の1シーンから始まった。それは南北戦争で負傷する兵たちが横たり、主人公スカーレットが医師を叫びながら探すシーンなのである。最初は、映画館を間違えたかと思ったほどだ。

私は、なぜ、冒頭に「風と共に去りぬ」の1シーンを入れたのか考えてみた。

主人公スカーレットの邸宅には、黒人奴隷が働いていた。その中の2人の黒人奴隷を思い出した。

1人はスカーレットを親のように暖かくも厳しく見守った乳母だ。貫禄たっぷりな大柄な黒人女性で、彼女とスカーレットの間には主従関係があっても、信頼感もあった。

もう1人は、少し知恵遅れの若い女性の黒人奴隷だ。この彼女には、まるで動物のような扱いをしていた。

名作「風と共に去りぬ」というタイトルは黒人奴隷を使っていた白人の貴族文化が去ったという意味合いが込められている。

しかし。「ブラック・クランズマン」のスパイク・リー監督には、黒人奴隷のイメージを世に焼き付けた映画に映っているのだろう。まだ、人種差別は、風と共に去ってはいないと訴えているように感じた。

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